中央大学卒業後、1989年に三菱(現浦和レッズ)に入団。
1995年に50試合で32ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王に輝くなど、Jリーグ通算228試合で93得点をマーク。
日本代表では、45試合で9ゴールを記録し、1993年にはワールドカップアジア地区最終予選も経験。
2002年に現役を引退。 引退後は、サッカーの普及活動に協力する日本サッカー協会のJFAアンバサダーに就任し、全国各地で幅広い普及活動をサポートした。
また、サッカー解説者として、報道ステーション等でサッカーコメンテーターを務めた。
2008年から浦和へコーチとして復帰し、2009年から監督に就任したフォルカー・フィンケの下でもコーチを務めていたが、2010年に浦和を退団。
2011年よりサッカー解説者として、メディアで活動をしている。